『宇宙戦艦ヤマト』とラジオの思い出<第9回>
1979年は劇場版『銀河鉄道999』が公開された年だが、ニッポン放送では特番などを組んではいない。
文化放送では「ささきいさおの青春大通り」内で取り上げた他、当時の国鉄とタイアップした999号ミステリーツアーというイベントを、ささきいさおをパーソナリティーにして生中継したが(出発時に30分番組、到着時にまた30分番組と分割して放送。その後、ツアーに密着した番組がフジテレビで放送された)、映画公開に当たっては何もない。
たまに『999』に生ドラマがあったとの書き込みを見るが、それが実現したのは続編の『さよなら銀河鉄道999』公開の時の話である。

ただその代わりといっては何だが、『未来少年コナン』が4時間生ドラマとして放送されている。
劇場用の再編集版公開を控えた時期の放送だったが、そのストーリーはTVシリーズとも劇場版とも違う独自の内容になっている。

次に『ヤマト』関連の番組が放送されたのは翌1980年。
当時の「オールナイトニッポン」は月曜から土曜の深夜1時から5時までの放送だったが、日曜の深夜にも「オールナイトニッポン電話リクエスト」という番組を放送しており、1月27日の夜には『午前零時 松本零士です』と題する特別番組が放送されたのだ。

これは松本零士をゲストパーソナリティーに迎えた生放送で、松本零士のライフストーリーや代表作を紹介するというもの。
インタビューには手塚治虫や夫人の牧美也子、西崎義展、小野耕世などの業界人だけではなく、その昔の下宿先の管理人一家なども登場させるという徹底ぶり。
また代表作として、ニッポン放送の「キリンラジオ劇場」枠で放送された『ザ・コクピット』の中から「衝撃降下90度」(LP化された)、それに今週放送分のTVアニメ『銀河鉄道999』63話「ヤミヤミの姉妹」Aパートにナレーションを加えたものと並んで、『ヤマト』パート1のガミラス星での決戦の件が流されている。

この番組は、実は翌日から「産経新聞」朝刊で連載がスタートする『新竹取物語1000年女王』の宣伝も兼ねており、プロローグ部分(4〜5回分)を紙上に先駆けてラジオドラマ化している。
ちなみにこの時のキャストは雪野弥生が池田昌子、雨森始が古谷徹だった。

「オールナイトニッポン電話リクエスト」枠での『午前零時 松本零士です』という番組は都合3回製作され、2回目は日高敏との共著『漫画大博物館』の刊行に合わせて8月10日深夜に、、そして3回目は翌81年の3月1日深夜、松竹歌劇団で『新竹取物語1000年女王』が上演される時だったが、どちらも『ヤマト』は取り上げられていない。 (e)